昭和49年10月11日 御本部参拝
おかげを頂きまして、内外共にお参りさせて頂きました者も、又留守を頂かって下さった方達の上にも、万事におかげ頂いておるもので御座います。おかげ頂いて、有難う御座いました。今度の御本部参拝で、ま愈々合楽に御神縁を頂いている方達の、一つの神様の御期待というか、又は御期待が大きければ大きいだけ、銘々が責任の重さと言う物を感じる分でありますけれども。
私は奥津城で頂きました事は、只今示現活動という大きな神様のお働きの、私共が手に足にならして貰わなければならないと云う事を願いに、事に付いてお願いしとりましたら、茗荷畑に、いっぱいの茗荷が出ておる所を頂きました。矢張りあのその活動に、お使い回しを頂くに致しましてもね、矢張り信心の喜びと言う物がなからなければ、お使い頂けません。又使うて頂きたいと願う者。又は使うて下さる神様。そこが妙でつながる。所謂、喜びの妙であります。
次に頂いた事はね白扇と頂きました。この合楽示現活動。様々ないろんな御比礼があります。一生懸命、御祈念力が強くて御比礼を頂いておる人達。又教えに基づいてと、色々おかげの現われる方は違います。あれだけ沢山の教会が御座いますけれども、矢張り金光大神の御教えを頂きながら、矢張り何と申しましょうか。ただあの一代仏的なおかげで終わると云う様なおかげの現われ方もあります。けれどもこの合楽示現活動というかね。神様も助かって下さり、私共も助からせて頂くという生き方。
そういう生き方を身に付けて行く限り、この白扇を頂きました。けれども又それをお礼申させて頂きよりましたら、白扇の一番あのう所謂この何ですかね、一番大きい太い骨です。あれが紙から離れておる所を頂きました、だからだからあのうこの、いわゆる紙とこの骨とが離れない限り、合楽示現活動という信心を身に付けると言う事は、もう広がりに広がって行くもんだと云う事です。肝心要のあのう所謂骨とねいうならば紙とが離れるという事は、信心を離れさえしなければ。
広がりに広がって行くおかげという意味でありましょう。今も申します様に、初代の時には大変御比礼を頂いたけれども、二代三代になったら、寂れたと云った様な意味でのおかげではない。これは私共が本当に示現活動に参画させて頂きたいという願いの元に、信心が進められると云う事だと思います。それから又あのー、お願いさせて頂いとりましたら、皆さんはめて行かれた、合楽のバッチをね。
あれを見事に頂いたんです。中の字が浮き彫りになって、亀甲型の中に合楽という字がね。これはもう何処までもこの示現活動というのは、合楽のものだという事です。だから合楽の者が、そのまま本部中央に所謂合楽示現活動としてとり上げる様になって行かなければならない。よその教会に持って行ったからというても、役には立たないと云う事です。まっそれは色々意味が御座いますから。
又段々お話も皆さん分かっておられましょうけれども、分かって頂かなければならんので御座いますけれども、そう云う今度は、合楽に、この示現活動と云う事がおおせ出されて。そして合楽の御縁頂いておる者に、一つの気持ちがかけられておると、愈々そういうものを思えば思うほどです。所謂責任の重さと言う物を感じます。だから私共それ一人一人がです。只今帰りましたら、又大黒様が沢山送って来たのでしょう。
数が多くなっとられますから。もう愈々銘々がその大黒様の徳を受ける様な気持ちでね、一つおかげを頂き、その大黒様が言うならば一と役も二た役もこうて下さっておる様な物をまあー感じます。どうぞ先ずは、我が身におかげを受けると云う事は。自分の心が信心の喜びで一杯になると云う事だと思うんですね。どうぞ一つ神様の願いに答えられる信心を一つ頂いて貰いたい。今度の御本部先をこちらに来る前。
来る来る聞かせて頂いたんですけれども、久留米の控え所に沢山な、今度四百何十名の方だったそうですね。ですから、そのほとんど四分の一が合楽であった訳です。けど是はまだまだ。この次にはどうでも、秋永先生とお話した事でしたけれども、二列車じゃない、二箱くらいはねおかげ頂きたいと。百六十名位あれば。だから本当に合楽の場合は、一人一人勧誘せんまま。これだけのおかげ頂いておるのですから。
所謂合楽示現活動の生き方を持ってです。矢張りお互いが導いて行く様ななら、本当に二台が参代でも出来るのじゃないかと。けども先ずはこの次は、春の御大祭には二箱を目指させて頂いて、お役に立たせて頂く信者が増えて行く事を、神様へのお礼させて頂かなければならんと云う事を、今度は特に感じさせて頂きました。どうぞよろしくお願い致します。お届けが終わられた方は、こちらで脇典で熱いお茶が出ておるそうですから、どうぞ頂いてお帰り下さいませ。お疲れで御座いました。